法律事務所ASCOPE
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感染被害者の声

B型肝炎訴訟体験談

B型肝炎訴訟体験談

VOICE 03

神田 義男さん(仮名)

男性・ 慢性肝炎

決してあきらめず、
弁護士の力を借りて、
訴えていってほしいです。

B型肝炎ウイルスへの感染を告げられた時はどのような気持ちでしたか。

ウィルスの感染を告げられても、その時は発病してなくキャリアだったので、そうなのか?って感じでした。
感染だけならまだしも、発症してしまった時はショックでした。
両親、弟は健康なのになぜ?と思いました。

B型肝炎の症状や治療で苦しかったこと、辛かったことはありますか。

B型肝炎の発症したのは、体がかゆくなって、皮膚科に行ったとき、肝炎かも?と言われて病院に行った時、肝数値が400~600くらいあり、治療にはインターフェロンと言われ、治療しましたが、微熱は続き、食欲もなく言われた副作用もインターフェロンをやめるとなくなりましたが、頑張ったかいもなく成功しませんでした。その時は、ショックでなりませんでした。これといった治療もなく、薬もきかず、キョウミノを毎日うちに行きました。
毎日毎日苦痛でした。
安静と言われても、仕事上無理だったし、長い間苦しみました。

治療以外で苦しかったこと、辛かったことはありますか。

B型肝炎と分かった時は、世間ではあまり理解もなく、見た目はいたって健康でどこが悪いの?と思われるくらいでしたが、ウィルスを落ち着かせて元気に働けるようになるには食事をした後は横になるくらいしかなく、毎日会社の保健室で寝る事でした。初めは、周りも理解してくれているように感じていましたが、それが長い月日がすぎるにつれて嫌味を言われるようになり、仕事の上司にもつらい言葉を言われたことを覚えています。
結婚をして3か月もたたないうちに発病し、妻の両親からは離婚の話もされ、働けない時期も1年くらいあり、生活も苦しく、妻は両親に嘘をついて主人は元気で働いているといって元気にふりまいて、妻は仕事をし、両親には泣く事を我慢して、1人で泣いていたのを忘れません。
本当に、本当に辛い時があった事は、だれにも理解してもらなかったので、2人で頑張って今があります。
周りには差別されたくなかったので、B型肝炎だと言うことはごくわずかな人たちにしか言えませんでした。

B型肝炎によって失ったものはありますか。

今となっては、すべてが、なぜ私が?という気持ちでしたが、結婚して、すぐ発病して、入退院の繰り返しで、入院してすぐインターフェロンを打ち、毎日が辛かったです。仕事から帰り、毎日毎日病院へ行き、キョーミノを打たなければならなかったし、まず病院へ行き遊びに行って、泊りの旅行の時も病院遊び病院の毎日でした。なので、時間も失い、結婚したら子供も2人くらいと考えていましたが、働けない時期もあり、生活も苦しく、妻は仕事をしなければならない生活でしたので、子供は2人も育てる自信もなく、1人と決めて、一生懸命働いてきました。インターフェロンをうつことにより、子供に影響がないかと先生にきくと、わからないと言われ、3年あけて子供を作り、その10か月間は生まれてくるまで不安でした。今になれば、子供を1人しか生めなかった事には子供には申し訳なく今でも後悔しています。何があっても、苦しい時を乗り越えられる気持ちを持てばよかったと思います。
病気さえなければ、子供も1人ではなく、2人、3人といたかもしれません。にぎやかな過程を夢見ていましたが、病気になって叶えられませんでした。

B型肝炎給付金訴訟を知った経緯

市役所に住民票を取りに行った時、ポスターがはってあり、B型肝炎給付金訴訟を知りました。対象者であっても、まさか訴訟なんてと思いながらパソコンを調べると事実だと分かり、すぐに対応しました。

B型肝炎給付金訴訟の進行に関するご意見

国が勧める弁護団にお願いしようと思いましたが、電話も5時までとか、仕事している以上、24時間対応してもらえる方がよいと考え、パソコンで調べて、個人で弁護士を探して対応してもらいましたが、病院のカルテの開示や病院へ通うのが大変でした。仕事も休み、色々と書類集めが大変でしたが、弁護士がしっかりと対応してもらったので、裁判した後は、楽でした。もう少し、国からの返事が早ければよかったのにと思います。初めは半年くらいと言われましたが、1年かかったので長いです。

和解したときの気持ち

この訴訟を知った時、国は簡単には認めてもらえないと思ったので、大方あきらめていました。両親には血液検査に行ってもらい、協力はしてもらいましたが、母子手帳もなく、あきらめていましたが、チャンスにかけてみよう、薬代も一生必要だしと思って、訴えたら和解ときいて本当に嬉しかった。
病院通い、インターフェロンの苦しみ、周りからの目、妻の両親からの離婚話、辛いことだらけでしたが、まさかB型肝炎まで国が認めてくれたと言うことは本当に嬉しかったです。
ですが、病気が治るわけではないので、これからも薬の開発等にも力を入れてほしいと思いました。

B型肝炎給付金訴訟に関して国の周知・広報活動に関して

最近になり、CMでB型肝炎訴訟についてTVで見ましたが、平成29年までにもっと給付金対象者に向けて広報活動をしてほしいです。
まだまだ知らない人がたくさんいるはずです。国からもっと国民に知っていただけるように、活動が全くされていないと思います。

今不安に感じていることはありますか。

今現在は、慢性肝炎でおさまっていますが、将来は肝臓ガンになるリスクもあると聞いています。今も薬を飲んでいるので、お金もいりますし、健康で長生き出来るとは思えません。
将来病気が悪化し、長い病院通いや入院も必要になるのではないか?B型肝炎という病気をもっている以上、普通の人よりも将来の不安は何倍もあります。
将来年金はあてにならない世の中になるのは目に見えています。年金生活になった時、医療費なども心配しています。
訴訟をきっかけに少しでも医療費等の不安も解放されるのを望んでおり、決して高くない薬があることを望んでいます。

他の被害者の方に向けてのメッセージ。

法律では期限とお金が決められ、このタイミングで給付金にも差がありますが、今さら面倒とは思わずに、国に訴えるべきだと思います。
病気は治るものではありません。未だに薬はいいのがあっても治る薬はありません。一生つきあっていかなくてはならないのです。
決してあきらめず、弁護士の力を借りて、訴えていってほしいです。

その他に何かお書きになりたいことがあったら自由にお書きください。

感染していても発症しないキャリアのままであったらよかったのですが、B型肝炎を発症してしまった事により、本当に辛い時はありました。いつかガンにもなるんだろうとはあきらめている所もあります。
ですが、今は新薬もあり、次々と薬も開発されていますし、期待しています。
肝炎の人によくある、皮膚に細かい血管が浮き出ていて、黒っぽい肌で、日焼けをすれば真っ黒になりますし、肝炎であるリスクは今もあります。妻とは結婚した時、離婚の話にもなり、届を出すとこまでにもなりました。ですが、一生懸命頑張って、病気も少し薬で落ち着きましたが、肝炎が治ることはありません。
入退院の繰り返しの時、妻は毎日泣いていましたが、友人に今の辛さは一生のうちのほんの少しの時間だと言われた時、救われました。
辛い時の話をしていても、だれもわかってもらえないでしょう。
体にメスを入れる訳でもないのですから。
でも、肝炎?って簡単に思わないで、これからもゆっくり生活をしていきたいです。
失った事はたくさんありますが、国が認めてくれた事は大きいです。
これからも治療費はかかりますし、大変ですが、頑張ります。
一次的な対応ではなく、病気になった人は死ぬまで病気です。
よくなる事はないでしょう。まして肝臓がんになるこ事もあるでしょう。
最後まで国は助けるべきであり、私たちには終わりはありません。
苦しい思いをした事も忘れられません。
子供にも生まれてすぐ予防の注射をして、うつらないように気を付けています。
国にはこれからも援助制度の継続、治療費などは一生面倒を見てほしいです。