石綿製品を製造していた元工場労働者がアスベスト関連疾患を発症した場合において元勤務先に対する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求が認められた事例(ニチアス羽島工場事件 岐阜地判平成27年9月14日判時2301号112頁)
本稿執筆者
本多 翔吾(ほんだ しょうご)
法律事務所 ASCOPE所属弁護士
駒澤大学高等学校 卒業
駒澤大学法学部 卒業
明治大学法科大学院 修了
ご相談においては、中長期的な観点から様々な手段を視野に入れて、ご相談者にとってベストな選択をご提案できるよう尽力いたします。
【ポイント】
①アスベスト製品を製造していた工場においては、昭和34年頃には、当該工場は、粉じん作業従事者のじん肺罹患やその増悪を防止するべき義務を負っていたことを判示しました。
②従業員に対する定期的な安全教育や安全指導を行う義務等について、教育内容としては石綿肺発生のメカニズム、その具体的な有害性や危険性にまで及ぶ必要があり、石綿肺の予防措置や石綿肺に罹患した場合の適切な処置を自ら主体的に行うよう教育するだけでは不十分と判示しました。
③元勤務先から一定の補償を受け、今後一切の請求をしない旨の念書を作成した場合においても、その後病状が進行してしまった場合には、補償を受けた際の症状、補償金額、進行後の症状、念書の記載内容等を踏まえ、当該進行した病状についての損害賠償金を請求できる場合があることを認められました。
〈目次〉
第1 事案の概要
第2 主な争点
第3 判決
第4 判旨
第5 まとめ
第1 事案の概要
1 当事者について
本件は、被告の従業員として、石綿(アスベスト)製品の製造作業等に従事していた原告A及び同B(以下、あわせて「原告ら」といいます。)が、被告の安全配慮義務違反によって石綿粉じんに曝露し、石綿肺に罹患したなどと主張して、被告に対し、債務不履行に基づく損害賠償請求等をした事案です。
被告は、耐火断熱吸音材料・土木建築材料等の製造・販売及びこれらに付帯又は関連する工事に関する業務等を業とする株式会社です。被告は、長らく羽島工場、王寺工場、鶴見工場等の生産拠点で各種石綿製品を製造し、これらを全国各地の支店、営業所を通じて販売してきました。
原告Aは、昭和34年3月21日に被告に入社し、昭和42年12月25日に退職するまでの間、岐阜県羽島市所在の被告の羽島工場(昭和40年1月に改称。以下改称前後にかかわらず「羽島工場」といいます。)において勤務しました。また、じん肺管理区分については、管理4とされました。
原告Bは、昭和35年10月18日に被告に入社し、平成7年3月31日に定年退職するまでの間、羽島工場において勤務しました。被告は、原告Bが退職する際、じん肺退職者特別補償見舞金として600万円を支払い、原告Bは、同日、被告に対し、領収書兼念書を差し入れました(以下「本件念書」といいます。)。本件念書には、「但し、じん肺退職者特別補償見舞金として正に領収いたしました。尚、領収に当り私を始め家族の者よりじん肺に関し、いかなる事情が生じても補償等につき何等一切の異議を申し立てないことを確約いたします。」との文言が記載されていました。また、じん肺管理区分については、管理4とされました。
2 被告の石綿ばく露対策
以下は、被告が主張した石綿ばく露の対策内容となります。
・昭和40年代前半から、デジタル粉じん計を用いて粉じん濃度を測定しており、その測定結果を生かし、作業環境を改善するための措置を講じていたこと
・昭和28年から昭和31年頃に従業員に対しガーゼマスクを支給。昭和34年3月時点では、スポンジマスクを支給。昭和38年頃には、国家検定を合格した防じんマスクを支給し、防じんマスクの交換用フィルターを用意して原告ら従業員に配布した上、交換も適切に行い、管理方法についても指導していたこと
・安全衛生委員会及び衛生管理者を置き、昭和38年3月当時からマスクの着用をする旨の教育を行っており、昭和40年頃には安全衛生教育も行っていたこと
第2 主な争点
本判決の主な争点は、①被告に予見可能性があったか否か、②被告の安全配慮義務違反の具体的内容及び被告が同義務に違反したか否か並びに③「いかなる事情が生じても補償等につき何等一切の異議を申し立てないことを確約いたします」と記載された念書の効力です。
なお、その他に損害論についての争点も存在しますが、本記事では割愛いたします。
第3 判決
本判決は、被告の原告A及びBに対する安全配慮義務違反を認め、原告らの請求のうちそれぞれ2200万円(原告Bについては既払いの600万円を控除)の損害賠償及び弁護士費用相当額、遅延損害金の請求を認容しました。
第4 判旨
1 争点①(被告に予見可能性があったか否か)
(1) 結論
裁判所は、「被告は、原告らが勤務していた時期(昭和34年以降)において、原告ら従業員が石綿粉じんに曝露することにより、石綿肺等その生命・健康に重大な障害を与える危険性があることについて当然認識することができ、かつ認識すべきであった」と判示し、被告に予見可能性があったことを認めました。
(2) 理由
裁判所は、「我が国においても、戦前から戦後にかけて、石綿肺に関する医学的知見が積み上げられ、…研究報告が発表されるに至り、…公的機関によって、労働環境の改善に関する技術上の問題点がある程度解決し得るに至ったとして、石綿粉じんに対する各種予防対策措置が指針として示されたのであるから、遅くとも…環境改善技術指針が定められた昭和33年5月26日の時点においては、石綿肺及びその予防に係る知見が既に確立していた」こと等を理由としました。
2 争点②(被告の安全配慮義務違反の具体的内容及び被告が同義務に違反したか否か)
(1) 安全配慮義務違反の具体的内容
ア 一般論
裁判所は、一般論として「被告には、従業員が石綿粉じんに曝露することにより、その生命・健康に重大な障害が生じる危険性があるとの予見可能性があったと認められるため、労働契約上の付随的義務として安全配慮義務を負っている被告は、原告ら従業員に対し、昭和34年以降、石綿粉じんの発生・飛散の防止及び粉じん吸入の防止についてその時期に応じて必要な措置を講じ、粉じん作業従事者のじん肺罹患やその増悪を防止するべき義務を負っていたものと解される。」と判示しました。
イ 粉じん濃度を測定し、その結果に従い改善措置を講じる義務
裁判所は、「昭和33年5月26日の時点においては、石綿肺及びその予防に係る知見が既に確立していた。」ことや「その予防に係る知見の具体的な内容としては、粉じん作業従事者の石綿肺罹患やその増悪を防止するための適切な措置を講じるためには、その前提として、粉じんの濃度を測定して現状を把握し、その測定結果を適切に評価することが必要であることが指摘され、昭和33年5月26日に発出された環境改善技術指針には、石綿に関する作業について、粉じんの抑制目標限度が定められ、準拠すべき測定法として、労研式じん埃計法、インピンジャー法、ろ紙式じん埃計法、電気集じん器法が挙げられていた。」ことを挙げ、「被告において、原告Aが就労を開始した昭和34年の時点では、粉じん濃度を測定した上で改善措置を講じることが重要であることの知見は確立しており、粉じん濃度を測定することも技術的に可能であったというべきである。」としました。
その上で、「被告の指摘するように昭和46年頃まで粉じん濃度の測定が法令で明確に義務付けられてはいなかったとしても、被告には、昭和34年の段階で、原告ら従業員の身体・健康を守るため、定期的に粉じん濃度を測定し、その結果を踏まえた改善措置をとるべき義務があったと解される。」と判示しました。
ウ 石綿粉じんの発生・飛散防止措置をとる義務
裁判所は、「原告Aが就労を開始した昭和34年の時点で、被告において局所排気装置を設置することなど石綿粉じんの発生・飛散防止措置をとるために必要な実用性のある技術的知見が存在するに至っていた」ことを認定し、「被告は、昭和34年の時点で、作業内容、労働環境、粉じんの発生量などに応じ、必要かつ可能であれば、石綿粉じんの発生源に局所排気装置を設置し、これを設置しないとしても、発生源の隔離、新鮮な空気による換気などの必要な措置を講じることによって、粉じんの発生・飛散を防止すべき義務を負っていたものと解される。」と判示しました。
エ 適切な呼吸用保護具を適正に使用させる義務
裁判所は、「被告は、原告Aが被告に入社した昭和34年時点において、…粉じんを吸入する可能性がある作業をする従業員に対し、国家検定に合格した十分な性能を有する防じんマスクを支給し、これを着用するよう指導監督する義務を負っていた」と判示しました。
オ 石綿肺及び石綿粉じん対策について定期的に安全教育や安全指導を行う義務
裁判所は、「昭和34年頃には、石綿肺発生のメカニズム、その予防措置についての知見が既に確立していたものといえ、また、旧労働基準法では、使用者は、労働者を雇い入れた場合にその労働者に安全衛生教育を実施しなければならないと規定されていたことが認められる。被告は、石綿粉じんの曝露が人体に与える影響の重大性からすれば、粉じん作業従事者の石綿肺罹患やその増悪を防止するため、従業員自身が、石綿肺発生のメカニズム、有害性及び危険性を十分認識し、石綿肺の予防措置や石綿肺に罹患した場合の適切な処置を自ら主体的に行うことができるように、従業員に対して定期的・計画的な安全教育や安全指導を行うべき義務が昭和34年以降にはあったと解される。」と判示しました。
(2) 具体的な安全配慮義務に違反したか否か
ア 粉じん濃度を測定し、その結果に従い改善措置を講じる義務
裁判所は、「被告は、少なくとも原告Aが被告に入社した昭和34年から昭和40年代前半頃までの間は、粉じん濃度を測定しておらず、上記期間において、粉じん濃度を測定する義務を果たしていなかった」と認定しました。
イ 石綿粉じんの発生・飛散防止措置をとる義務
(ア)別荘(当時の従業員に「別荘」と呼ばれていた工場敷地内の建物)での作業
裁判所は、「被告は、窓を開け、扇風機を屋外に向けて作動させるなどといった対策しかとっておらず、その結果、別荘においては、作業中、視界が悪くなるほどの大量の石綿粉じんが飛散する状況であったのであるから、被告の対応は極めて不十分であり、上記のとおり、粉じんの発生・飛散を防止すべき義務を果たしていなかった」と認定しました。
(イ)仕上場での作業
裁判所は、「送風装置等によって換気を促進すべき」であったのにこれを行わなかったため、「石綿粉じんの発生、飛散防止措置を講じる義務を果たしていなかった」と認定しました。
(ウ)その他の建物
「集じん機にたまった石綿粉じんを隔離して保管したり、送風装置等によって換気を促進」すべきであったのにこれを行わなかったため、「石綿粉じんの発生、飛散防止措置を講じる義務を果たしていなかった」と認定しました。
ウ 適切な呼吸用保護具を適正に使用させる義務
裁判所は、「原告らを含む従業員は、上記のような粉じんを吸入する可能性のある作業に際して、支給されていたマスクを着用しないときがあったこと、被告において、昭和37年に安全衛生規定を定め、従業員に対してマスクの着用を義務づけたものの、原告らがマスクを着用しなかった際に特に注意などせず、マスク着用について十分な指導がされていなかったことが認められる。後述のとおり、被告の安全教育によっては、石綿粉じんの危険性も十分に周知されていなかったため、従業員にとって、マスクを着用することの意義が明らかになっておらず、原告らがマスクを着用しない一因となっていた。さらに、…被告が支給したマスクはいずれも使用を継続していると目詰まり等で呼吸がしづらくなるものであるところ、被告は、原告ら従業員が予備のマスクやフィルターとの交換を申し出た際に、特段の理由なく交換に応じなかったこともあり、このことも支給していたマスクの着用が徹底されなかった一因にもなっていた」ことを理由に「原告ら従業員がマスクの着用を徹底しなかったのは、後述の安全教育体制も含め、被告による従業員に対する指導やマスクの支給体制の不備によるものというべきであるから、被告の従業員に対するマスクの着用に関する指示、監督は全体として不十分であり、被告は、原告らに対し、適切な呼吸用保護具を適正に使用させる義務を果たしていなかった」と認定しました。
エ 石綿肺及び石綿粉じん対策について定期的に安全教育や安全指導を行う義務
裁判所は、「被告が社内報において、防じんマスクの着用を呼びかけた理由は職場にほこりがあるからとの説明になっているなど、被告が行っていた…教育内容は、石綿肺発生のメカニズム、その具体的な有害性や危険性にまで及ぶものではなく、石綿肺の予防措置や石綿肺に罹患した場合の適切な処置を自ら主体的に行うことを目的とする安全教育としては、不十分であるといわざるを得ない。また、上記で検討したように、被告の従業員に対するマスクの使用に関する指示監督も全体として不十分であった」とし、「少なくとも昭和41年頃までの間、被告は、従業員に対し、定期的・計画的な安全教育や安全指導を行う義務を果たしていなかった」と認定しました。
3 争点③(念書の効力)
(1) 当該念書の法的性質
裁判所は、アスベストばく露による病状にかかる損害について「一般に、じん肺は肺内に粉じんが存在する限り進行する進行性の疾患であり、その病状の進行の有無、程度、速度は、患者によって多様である。ある患者についての特定の時点での病状が、今後どの程度まで進行するのかはもとより、進行しているのか、固定しているのかすらも、現在の医学では確定することは困難である。そのようなじん肺の病変の特質などに鑑みると、管理2ないし管理4の各管理区分決定に相当する病状に基づく各損害には、質的に異なるものがあるといわざるを得ず、重い管理区分決定に相当する病状に基づく損害は、その決定を受けた時点で初めて発生する別個の損害と評価すべきである。」とした上で、
当該念書の法的性質について「重い管理区分決定に相当する病状に基づく損害が別個の損害であり、また、将来、重い管理区分決定を受けるか否かを推測することも通常は困難であることからすれば、管理区分決定ごとに異なる和解金額を定める方法による和解は、当該管理区分決定に相当する病状に基づく損害の賠償に関する和解と解するのが相当である。」と判示しました。
(2) 「いかなる事情が生じても補償等につき何等一切の異議を申し立てないことを確約いたします。」との念書があることにより将来的に重い管理区分決定に相当する病状を発症した場合に損害賠償請求をすることができるか
裁判所は、「将来、重い管理区分決定を受ける可能性があることを踏まえて和解することも不可能ではないが、その場合には、和解金額が、和解時における管理区分決定に相当する病状に基づく損害の賠償金よりは高額なものとなるはずである。被告におけるじん肺退職者特別補償見舞金の額は、管理3イの者が退職するときは600万円である一方、管理4の者が退職するときは、扶養者の有無により2200万円又は2700万円が支払われることになっており、管理3イで退職する者が受け取る600万円という金額は、今後自らの病状が管理4に進行し得ることをも含んだ和解金額としては、相当に低額であるといえる。」
「また、別個の損害である将来の重い管理区分決定に相当する病状に基づく損害までも対象として和解するのであれば、当該合意に関する念書には、その旨が明示的に記載されることになると考えられるところ、本件念書には、じん肺に関し、いかなる事情が生じても補償等につき何等一切の異議を申し立てないことを確約する旨の記載はあるものの、今後、より重い管理区分決定を受けた場合や死亡した場合の損害賠償請求権をも対象とする旨の明確な記載はない。」
「これらの事情に照らせば、本件念書により、原告Bと被告の間で、原告Bの当時罹患していた管理3イに相当する病状に基づく損害賠償請求権のみならず、病状が管理4に進行し得ることを前提に、その進行した病状に係る損害賠償請求権をも含めた形で和解契約を成立させる趣旨のものであったとまでは認められない。」と判示しました。
第5 まとめ
1 安全配慮義務違反について
安全配慮義務違反について本判決で注目すべき点は、アスベストにかかる製品を扱う工場において、昭和34年以降においては、①定期的に粉じん濃度を測定し、その結果を踏まえた改善措置をとるべき義務、②必要かつ可能であれば、石綿粉じんの発生源に局所排気装置を設置し、これを設置しないとしても、発生源の隔離、新鮮な空気による換気などの必要な措置を講じることによって、粉じんの発生・飛散を防止すべき義務、③粉じんを吸入する可能性がある作業をする従業員に対し、国家検定に合格した十分な性能を有する防じんマスクを支給し、これを着用するよう指導監督する義務及び④従業員に対して定期的・計画的な安全教育や安全指導を行うべき義務が認められたことにあります。
その上で、③及び④の義務については、教育内容としては、石綿肺発生のメカニズム、その具体的な有害性や危険性にまで及ぶ必要があり、石綿肺の予防措置や石綿肺に罹患した場合の適切な処置を自ら主体的に行うよう教育するだけでは、安全配慮義務の履行としては不十分とされています。
2 念書の効力について
既に元勤務先との間で一定の補償金を受け取り、今後一切の請求を行わない内容の念書を作成している場合について、本判決は、原告Bが当時受領した補償金額の低さや念書に今後より重い管理区分決定を受けた場合や死亡した場合の損害賠償請求権をも対象とする旨の明確な記載がないことを指摘し、病状が進行し得ることを前提に、その進行した病状に係る損害賠償請求権をも含めた形で和解契約を成立させる趣旨のものであったとまでは認められないと判示した点は注目すべき点といえるでしょう。
【相談のポイント】
工場においてアスベスト製品を製造していた方は、相談前に当時の作業内容や石綿の飛散状況、マスクを着用して勤務をしていたか、元勤務先からアスベストに関してどのような教育指導がなされていたかなどを一度振り返ってみると良いと思われます。
また、既に元勤務先から補償金を受け取り、念書などを取り交わしたものの、その後に病状が進行してしまったという方についても、どのような念書を交わしたのか内容を確認しつつ、弁護士に相談してみると良いと思われます。