裁判例紹介 造船所で船舶の修繕作業に従事したことで、じん肺及びその合併症である続発性気管支炎に罹患したとして、従業員の遺族が使用者に対して提起した訴訟において、使用者の責任が認められなかった事例(横浜地判平成27年1月29日労経速2240号3頁)
本稿執筆者
中本 賢(なかもと けん)
法律事務所 ASCOPE所属弁護士
洛南高等学校 卒業
神戸大学法学部法律学科 卒業
東京大学法科大学院 修了
法律問題の解決のためには、早期にご相談いただくことが大切です。ご不安やご要望に沿った解決法を一緒に探していきましょう。
よろしくお願いいたします。
ポイント
①100%子会社であった会社がAを雇用していた期間の被告親会社の責任について、Aとの雇用関係が名目上も実質上も存在せず、雇用契約又は信義則に基づく安全配慮義務の責任を負わないと判断されました。
②被告がAと雇用関係にあった期間についても、Aが行った船舶の修繕作業によるアスベストばく露の有無について、Aの主給水ポンプの分解・組立て作業によるAへのアスベスト粉じんのばく露はなく、Aの作業環境からして、他の作業であるエンジン主機のアスベスト含有保温材の取り外しによるアスベスト粉じんのばく露もなかったものとして、ばく露とAのじん肺との因果関係が否定され、被告は、雇用契約に基づく安全配慮義務の責任も負わないと判断されました。
〈目次〉
第1.事案の概要
第2.主な争点
第3.判決
第4.判旨
第5.検討
第1.事案の概要
本件は、被告Y1株式会社(機械総合商社。以下「被告Y1」といいます。)と雇用契約を締結し、被告Y2株式会社(造船会社。以下「被告Y2」といいます。)の管理する作業現場などにおいて船舶の修繕作業等に従事していた亡A(以下「A」といいます。)の相続人である原告らが、Aが、じん肺にり患し、続発性気管支炎となったのは、被告Y2における業務においてアスベストにばく露したことが原因であると主張して、被告Y1及びY2に対して、雇用契約上の安全配慮義務違反を理由とする債務不履行等に基づき、損害賠償金及びこれに対する遅延損害金の支払いを求めた事案です。
1.Aが従事してきた作業内容
Aは、昭和49年6月1日から平成7年3月1日までの間、被告Y1の100%子会社であったB株式会社(以下「B社」といいます。)と雇用契約を締結し、主給水ポンプの分解、組立て業務に従事していました。B社は、平成7年2月28日に解散しています。
その後、Aは、平成7年3月10日から平成10年7月1日までの間、被告Y1と雇用契約を締結し、そのうち22日間、被告Y2の管理する船舶の修繕作業の現場に派遣され、蒸気タービン船のエンジンルーム内で、被告Y2の従業員に対し、C株式会社製のボイラー用の蒸気タービン駆動の主給水ポンプ(以下「C・ポンプ」といいます。)を分解、点検、部品交換等し、組み立てる作業について、指導する業務に従事しました(以下「本件作業」といいます。)。
2.Aの病歴等
Aは平成20年5月に神奈川労働基準局長に対して管理区分の決定申請を行いましたが、管理区分1(じん肺の所見無し)であったために、不服申立てを行い、平成20年11月、じん肺管理区分について、管理区分2の裁決を受けました。その後、Aはじん肺の合併症である続発性気管支炎による労災申請を行い、平成21年5月、中央労働基準監督署長は業務上災害に当たるものとして労災支給決定をしました。
Aは平成17年11月、胸膜プラークがあると診断を受け、平成21年11月肺がんにより死亡しました。
第2.主な争点
本件の主な争点は、①被告Y1はAがB社に在籍していた期間の責任を負うか否か、②本件作業におけるアスベストばく露の有無・程度、③Aのじん肺罹患の有無及び因果関係です。
第3.判決
本判決は、被告らの債務不履行等に基づく責任は認められないとして、原告らの請求を棄却しました。
第4.判旨
1.争点①(被告Y1はAがB社に在籍していた期間の責任を負うか)について
原告らは、被告Y1は、AがB社に在籍していた昭和49年6月1日から平成7年3月1日までの間についても、Aに対し、実質的な使用者として、又は、信義則上、安全配慮義務を負うものと主張しました。これに対し、裁判所は、それぞれ以下のとおり判断し、当該期間について、被告Y1の責任は認められないとしました。
(1)被告Y1はAの実質的な使用者として、雇用契約に基づく安全配慮義務を負うとの主張について
裁判所は、被告Y1はB社の親会社であったと認められるにとどまり、B社の法人格が形骸化し、あるいは法人格が濫用されていたといった事情はなく、被告Y1はAに対して実質的な使用者として認められず、安全配慮義務を負うものではないとしました。
(2)被告Y1は信義則上、Aに対する安全配慮義務を負うとの主張について
裁判所は、「安全配慮義務は、信義則上、労働者の労働実態に鑑み、労働者と雇用関係に準ずる法律関係にあると認められる者も負担すべきものと認められるが、原告らの主張を前提としても、原告(ママ)と被告Y1との関係は、Bから派遣されて被告Y1が請け負った業務に従事したことがあったという程度にとどまり、この際、Aが被告Y1から具体的な指揮命令を受けていた等雇用関係に準じる労働実態があったことを認めるに足りる証拠はないから、被告Y1は信義則上、Aに対する安全配慮義務を負うものではない」としました。
2.争点②(本件作業におけるアスベストばく露の有無・程度)について
(1)Aの作業内容や作業環境に関する事実認定
裁判所は、Aの作業内容や作業環境について、Aがアスベストに罹患する可能性があるかどうかという観点から、以下のとおり事実の認定をしました。
ア:本件作業が実施されたエンジンルームは、複数階層に分かれ、吹き抜けスペースのある構造であり、主要な機器については、上層階にボイラーが、中間階層に発電機やC・ポンプが、最下層階にエンジン主機が、それぞれ設置されていた。エンジンルームは、幅が数十メートル、高さが数メートルに及ぶ広大な空間となっている。Aの作業場所はC・ポンプの設置場所付近にとどまっており、それ以外の場所での作業はなかった。
イ:C・ポンプの分解、組立て等の作業を実施するのは被告Y2の作業員であり、Aは、スーパーバイザーと呼ばれる指導員として、基本的に、被告Y2の従業員に対する指導を行うにとどまっていた。ただし、Aは、被告Y2の従業員に対し見本を示すためにC・ポンプの定期点検等のために、C・ポンプを分解・開放するため、ごく一部の配管やバルブを外すことはあった。もっとも、当該部分にはアスベスト含有保温材は使用されておらず、C・ポンプを分解・開放する作業によって作業者がアスベスト粉じんを浴びることはなかった。
ウ:エンジン主機が設置されていた場所ではアスベスト含有保温材を取り外して作業をしていたが、取り外されたのはエンジン主機の高温高圧の蒸気が入る部分だけであり、かつ当該部分のアスベスト含有保温材は切断されたり剥離されたりすることなく取り外され、ビニール袋に入れて保管された。エンジン主機のある場所とC・ポンプのある場所は階層が異なり、直線距離でも約6.9メートル離れていた。
エ:C・ポンプの製造メーカーであるC株式会社は、被告Y1の問い合わせに対し、C・ポンプの整備に携わるエンジニアが、アスベストに起因する何らかの疾患に罹患したことはない旨回答した。
(2)アスベストばく露の有無・程度に関する裁判所の判断
裁判所は、まず、AのC・ポンプの分解・組立て作業によるアスベストばく露の有無については、「Aは、被告Y2の従業員に対し、C・ポンプの分解・組立てに関する作業の指導を行い、自身は上記業務を手伝うにとどまっていたこと、C・ポンプの『STEAM CHEST&BONET』と呼ばれる部分にはアスベスト含有保温材が取り付けられていたが、本件作業においてこれが取り外されることはなかったこと、C・ポンプにはポンプ部分にアスベスト含有のパッキンが使用されていたにとどまり、かつ、当該パッキンに使用されていたアスベストは固形物で包まれ濡れており、飛散するようなものではなかったこと、C・ポンプの製造メーカーがC・ポンプのパッキンに使用されているアスベストが原因で疾病に罹患した者はいないと回答していることが認められ、これらの事実によれば、Aは、本件作業において、アスベストを直接取り扱い、アスベスト粉じんを浴びるような業務に従事していたとは認められない」とし、アスベスト粉じんのばく露を否定しました。
また、エンジン主機におけるアスベスト含有保温材の取り外しによるAへのアスベストのばく露の有無について、エンジンルーム内においてはエンジン主機の周辺でアスベスト含有保温材(成型)を取り外す作業が行われていたが、同保温材は、切断あるいは剥離されることなく取り外され、ビニール袋に入れて保管されていたもので、エンジンルーム内では大型の換気扇が稼働し、Aの作業場所とエンジン主機が設置されていた場所とは階層が異なり距離も離れていたことも認められるから、エンジン主機の周辺でアスベスト粉じんが発生したこと、あるいはエンジン主機の周辺から粉じんが拡散し、Aの作業場所がアスベスト粉じんが飛散する状況にあったことを認めるに足りる証拠はないとして、こちらについても、アスベストのばく露を否定しました。
3.争点③(Aのじん肺罹患の有無及び因果関係)について
争点②に関する判断内容から、Aは、本件作業においてアスベストを直接取り扱いアスベスト粉じんを浴びるような業務に従事していたとは認められず、Aの作業場所がアスベスト粉じんが飛散する状況にあったことも認められないから、Aが仮にじん肺に罹患していたとしても、本件作業との間の因果関係を認めることはできないとしました。
第5.検討
裁判所は、被告Y1の100%子会社であったB社がAを雇用していた期間の被告Y1の責任については、いわゆる法人格否認の法理(異なる法人であっても法人格が形骸に過ぎない場合や濫用されている場合には、紛争解決上妥当な判断とするため、法人とその背後の者との分離を否定する法理)は適用されず、Aと雇用関係にない被告Y1の責任については、雇用契約に基づく安全配慮義務の責任は負わないと判断しました。
被告Y1がAと雇用関係にある期間についても、裁判所は、Aの作業内容や作業環境を具体的に認定して、①Aの従事していた作業がアスベスト粉じんの飛散を伴いAをアスベストにばく露させる危険性を持つものであったか、②Aの作業環境からして、Aが直接従事していない作業がアスベスト粉じんの飛散を伴いAをアスベストにばく露させる危険性を持つものであったかを判断し、いずれも認められないことから、雇用契約に基づく安全配慮義務を理由とする責任は負わないと判断しました。
【弁護士への相談について】
船舶の修繕作業に従事していたことによりアスベストにばく露して健康被害を受けた方についても使用者の責任が認められる場合があります。もっとも、本裁判例のように、裁判では具体的かつ詳細に被災者の作業内容及びアスベストばく露の可能性等を検討することとなるため、責任追及が認められるかどうかの見通しを判断するためには、詳細なご事情の確認及び弁護士の専門的な判断が必要となります。
過去にアスベスト粉じんにばく露する作業に従事した方で具体的な救済方法についてご関心のある方は、一度弁護士までご相談ください。