裁判例紹介:石油コンビナートの加熱炉の補修、保温工事等の現場において現場監督業務に従事したことが原因で、悪性胸膜中皮腫に罹患し死亡したとして、使用者の責任が認められた事例(東京高判平成17年4月27日労判897号19頁、東京地判平成16年9月16日労判882号29頁)
本稿執筆者
篠原 雄一郎(しのはら ゆういちろう)
法律事務所 ASCOPE所属弁護士
・慶應義塾志木高等学校 卒業
・慶應義塾大学法学部法律学科 卒業
・慶應義塾大学法科大学院 修了
はじめまして、弁護士の篠原 雄一郎と申します。
弁護士は、法律問題の専門家として、依頼者の方の権利・利益を代弁し、依頼者の方にとって最善の形で問題解決を図ることを職責としています。
私は、この職責を全うするため、法律問題に対する冷静な分析を大切にするとともに、依頼者の方の権利・利益のために、熱意をもって、全ての案件に誠心誠意取り組んでまいります。
また、法律問題に悩む依頼者の方の不安な気持ちに寄り添い、常に丁寧な対応を心がけてまいります。
どうぞよろしくお願いいたします。
ポイント
①亡A(元従業員)は、石油コンビナートの加熱炉の補修、保温工事等の現場において現場監督業務に従事していたところ、この業務中に石綿ばく露があったと認定されました。
②安全配慮義務の前提として、使用者が認識すべき予見義務の内容は、生命・健康という被害法益の重大性に鑑み、安全性に疑念を抱かせる程度の抽象的な危惧であれば足り、必ずしも生命・健康に対する障害の性質、程度や発症頻度まで具体的に認識する必要はないという立場に立って判断がなされました。
③安全配慮義務の内容が具体的に検討され、その義務を被告Y1社が果たしていなかったとして、被告Y1社の責任が認められました。
〈目次〉
第1.事案の概要
第2.争点
第3.判決
第4.判旨
第5.検討
第1.事案の概要
本件は、生前に被告Y1社と被告Y2社(以下「被告ら」といいます。)に順次就職して勤務した亡Aの妻子である原告らが、亡Aは被告らに勤務中に、石油コンビナートの加熱炉の補修、保温工事等の現場において、石綿粉じんを吸入したため、悪性中皮腫に罹患して死亡したところ、被告らには、安全配慮義務違反があったとして、被告らに対し、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償を求めた事案です。
1.被告Y1社及び被告Y2社の概要
被告Y1社は、保温・保冷工事、耐火工事、耐酸・耐蝕工事、焼却炉工事等の新規・補修・定期修理工事を業務内容とする会社でした。
被告Y2社は、各種船舶の冷凍艙、冷凍庫及びタンクの保冷工事の設計・施工、陸上冷蔵倉庫・定温倉庫の保冷工事、食品低温流通分野での冷凍設備の設計・施工、各種プラント機器類の保温保冷・耐火工事、各種機器類の防振・防音工事等を業務内容とする会社でした。
2.Aが従事してきた業務内容
(1)Aが被告Y1社において従事してきた業務内容
被告Y1社は、大手石油会社等から、石油コンビナートの加熱炉、産業廃棄物焼却設備等の新規・補修・定期点検整備工事を請け負っていました。
Aは、昭和38年4月、被告Y1社に入社した後、昭和40年6月から、千葉県内の石油精製会社の石油コンビナートで現場監督業務に従事しました。その後、昭和48年頃にも石油コンビナートで現場監督業務に従事し、さらに、昭和55年10月から昭和59年4月に被告Y1社を退社するまでの間も、現場監督業務に従事しました。
加熱炉は、石油を温める設備であるところ、温められた石油を炉外へ出すために通す加熱炉パイプの貫通部に、パイプを安定させて外気の流入を防止するため、アスベストを使用したロープが建設時にパイプと貫通部のガイドプレートの間に挿入されていました。また、加熱炉の入口ドアには、ボルト止めがされている箇所のシールパッキンとして、石綿を含有するアスベストテープが使用されていました。さらに、焼却設備についても、ロータリーキルン炉尻部のシール材としてアスベストクロス等の石綿製品が使用されていました。
補修工事の際には、前記のアスベストを使用したロープやアスベストテープ等がはがされることがありました。また、定期点検整備工事に付随して、加熱炉外の配管保温材の点検・交換や、保温工事が行われることがありましたが、被告Y1社では、昭和54年頃までは保温工事に石綿を含有する保温材を用いており、この保温材を適切な寸法にするため、現場で保温材の切断が行われていました。これらの工事につき、Aら現場監督は現場に出て、職人のそばで工事の進行管理、指示等を行いましたが、その際、通常はマスクを装着することなく、タオルを口に当てる程度でした。
(2)Aが被告Y2社において従事してきた業務内容
Aは、昭和59年4月に被告Y1社を退職し、同業の被告Y2社に入社しました。同社では、主に設計・積算の業務に従事しましたが、たまに現場に赴くことがありました。
3.Aの病歴
Aは、被告Y2社において勤務していた平成7年11月頃から、胸痛、咳、微熱等の症状が出て痩せ始めたため、同年12月、近医で受診したところ、胸膜炎と診断されました。平成8年5月、Aは、病院でCT検査を受けたところ、中皮腫に罹患している疑いがあったため、同年6月5日、同病院で胸膜生検を受け、悪性胸膜中皮腫に罹患していると診断されました。
Aは、その後病状が急速に進行し、同年8月1日、胸痛悪化、呼吸困難のため入院し、同月11日、悪性胸膜中皮腫により死亡しました。
第2.争点
本件の争点は、①被告Y1社及び被告Y2社に在職中の石綿ばく露の有無、②Aの死亡と石綿ばく露との因果関係、③予見可能性、安全配慮義務違反、④原告らの損害額です。
第3.判決
1審(東京地裁)は、被告Y1社には安全配慮義務違反があり、債務不履行及び不法行為に基づき損害賠償責任を負うとして、Aの遺族に対して合計約5670万円の賠償を命じました。他方で、被告Y2社に対する請求は棄却しました。
控訴審(東京高裁)は、基本的に1審判決を維持し、被告Y1社に安全配慮義務違反があることを認めましたが、賠償額については合計約4678万円に減額しました。
第4.判旨
1.1審(東京地裁)
(1)争点①(被告Y1社及び被告Y2社に在職中の石綿ばく露の有無)について
Aは、主に昭和40年から昭和45年まで及び昭和49年から昭和59年までの間、石油コンビナートの加熱炉、産業廃棄物焼却設備等の新規工事、補修、定期点検工事、保温工事等において、老朽化したアスベストテープ等がはがされ、または、老朽化した保温材が撤去され、あるいは新たな保温材が取り付けられる場合の加工の際に、石綿粉じんが発生する炉内又は炉外の作業現場において、工事の進行状況を管理し、職人に対して指示をするなどの現場監督業務に従事したため、反復して、石綿粉じんを吸入したものと推認することができるとし、被告Y1社在職中における石綿ばく露を認めました。
これに対し、被告Y2社在職中については、Aがたまに現場に出かけたことがあったことは認めつつも、現場に出かけた際に、その現場において石綿粉じんが発生していたことを認めるには足りないとして、石綿ばく露を認めませんでした。
(2)争点②(Aの死亡と石綿ばく露との因果関係)について
Aは、肺生検により悪性中皮腫と診断されたところ、悪性中皮腫は石綿ばく露との因果関係が極めて濃厚であること、また、低濃度のばく露であっても悪性中皮腫を発生すること、さらに、Aの石綿ばく露開始時期及び終了時期と発症及び死亡時期が、統計上の平均値と概ね整合することを根拠に、Aが悪性中皮腫により死亡したことと、被告Y1社における勤務中の石綿ばく露との間に因果関係があると認めました。
(3)争点③(予見可能性、安全配慮義務違反)について
ア 予見可能性について
まず、安全配慮義務の前提として、使用者が認識すべき予見義務の内容は、生命・健康という被害法益の重大性に鑑み、安全性に疑念を抱かせる程度の抽象的な危惧であれば足り、必ずしも生命・健康に対する障害の性質、程度や発症頻度まで具体的に認識する必要はないとしました。
その上で、遅くとも昭和40年頃までには、石綿粉じんが人の生命・健康に重大な影響を及ぼすことについて、医学界のみならず石綿を取り扱う業界にも知見が確立していたものと推認されるとして、被告Y1社は、Aが現場監督業務に従事した際、石綿粉じんの吸入によって、その生命・健康を害する影響を受けることについて予見可能性があったと認めました。
イ 安全配慮義務違反について
被告Y1社について、上記の予見可能性があったことを前提に、まず、〔①〕(注:番号は筆者による。以下同じ。)石綿粉じんが発生する石綿製品については代替品を使用するなどして、可能な限り、その労働者が石綿粉じんを吸入する機会を抑えるようにすべき注意義務があったとした上で、被告Y1社は、代替品の使用が可能となった以後も石綿を含有する製品を使用し続けたとまでは認定できないとして、①の注意義務違反は認められないと判断しました。
しかし、〔②〕石綿の使用の取止めや代替品への切り替えが直ちにできなかった場合、あるいは、過去に石綿製品を使用していた現場で補修等を行う場合には、被告Y1社は、可能な限り、労働者が石綿粉じんを吸入しないようにするために万全の措置を講ずべき注意義務を負担しており、具体的には、〔②-1〕現場監督であるAに対し、石綿の人の生命・健康に対する危険性について教育の徹底を図るとともに、〔②-2〕Aに対しても防じんマスクを支給し、マスク着用の必要性について十分な安全教育を行うとともに、〔②-3〕石綿粉じんの発生する現場で工事の進行管理、職人に対する指示等を行う場合にはマスクの着用を義務付け、さらに、〔②-4〕補修工事等の対象となる建造物について、石綿が使用されている箇所及び使用状況をできる限り調査して把握し、Aら現場監督に周知すべき注意義務があったとしました。
そして、被告Y1社は、職人に対しては防じんマスクを支給していたものの、同じ作業場で工事の進行管理、職人に対する指示等を行うAら現場監督に対しては防じんマスクを支給していなかったこと(②-2)、また、そもそも、石綿の人の生命・健康に対する危険性についての教育や、マスク着用のための安全教育を全く実施していなかったこと(②-1、②―2)、さらに、補修工事の対象となる建造物について、石綿等が使用されている箇所及び使用状況を事前に把握するなどの措置を全く講じていなかったこと(②-4)等を指摘し、被告Y1社には労働契約上の安全配慮義務違反及び不法行為上の注意義務違反があったのであり、被告Y1社は、Aの死亡について、債務不履行(民法415条)及び不法行為(民法709条)に基づき損害賠償責任を負うことを認めました。
なお、被告Y1社は、特定化学物質等障害予防規則に従い、石綿の含有量5%以下の石綿製品を使用していたとして、安全配慮義務違反を否定する主張をしていましたが、これに対しては、一般に、行政法令上の安全基準や衛生基準は、使用者が労働者に対する関係で当然に負担すべき注意義務のうち、労働災害の発生を防止する見地から特に重要な部分にして最低の基準を、公権力をもって強制するために明文化したものにすぎないから、これらの基準を遵守したからといって、被告Y1社が上記注意義務を免れるものと解することはできないとして、被告Y1社の主張を排斥しました。
(4)争点④(原告らの損害額)について
ア 死亡逸失利益
Aは死亡当時51歳であり、その前年(平成7年)の給与収入は689万2200円であったところ、50歳という年齢は統計上、生涯で収入が最も多い時期であり、その後上記収入を維持できる可能性は高くないことを指摘しました。
その上で、Aの死亡逸失利益の算定に当たっては、死亡時の51歳から定年の60歳までは上記収入を基礎収入とし、その後、就労終期である67歳までは、平成8年賃金センサス男性労働者・高卒・60歳から64歳までの平均年収である449万0600円を基礎収入とすべきであると判断しました。
結論として、生活費控除率30%、年5%の中間利息控除を考慮した結果、Aの死亡逸失利益は、4601万6507円と算定されました。
イ 死亡慰謝料
原告らは、Aの死亡慰謝料は3000万円を下らないと主張しましたが、予見可能性に従って安全教育等を施し、上記各注意義務を果たすことは、当時の石綿に対する企業の認識等からすれば必ずしも容易ではなかった面もあることが考慮され、Aの死亡慰謝料は2300万円とされました。
ウ 相続
亡Aに生じた損害は、上記アとイの合計6901万6507円であるところ、原告らのうち、Aの妻が2分の1、Aの2人の子が各4分の1の割合で相続したため、Aの妻について3450万8253円、Aの子について各1725万4126円となりました。
エ 損害の填補
原告らのうち亡Aの妻は、Aの死亡後、労災保険から、遺族補償年金として1553万円9487円、遺族特別年金として380万4122円、遺族特別支給金として300万円の支給を受け、また、遺族補償年金として、平成15年10月から平成16年8月まで各偶数月に各32万2306円の支給を受けることが確定していました。
これら支給金のうち、既に支給された遺族補償年金及び支給が確定している遺族補償年金の合計1747万3323円は、Aの妻が受けた損害のうち、死亡逸失利益分に対する填補になるとして損害額から控除され、損害残額は1703万4930円とされました。
なお、遺族特別年金及び遺族特別支給金の支給は、労災保険法23条に規定する労働福祉事業の一環として行われるものであり、損害填補の性質を有するものではないとして、損害額から控除されませんでした。
オ 弁護士費用
原告らのうち、Aの妻については170万円、Aの2人の子については各173万円が本件事故と相当因果関係のある弁護士費用と認められました。
カ 小括
結果として、原告らの各損害額は、Aの妻が1873万4930円、Aの2人の子が各1898万4126円(原告らの損害額の総額は5670万3182円)と判断されました。
2.控訴審(東京高裁)
Y1社は、1審判決を不服として控訴しました。なお、原告らとY2社との間の訴訟は、原告らが控訴しなかったため、請求棄却のまま確定しました。
控訴審判決は、基本的に1審判決を維持する内容となりました。ただし、争点④(原告らの損害額)については損害額の減額を行っていますので、この点について、補足的に説明します。
控訴審判決は、死亡慰謝料について、被告Y1社が、予見可能性に従って安全教育等を施し、上記各注意義務を果たすことは、当時の石綿に対する企業の認識等からすれば必ずしも容易でなかった面もあること等を考慮し、Aの死亡慰謝料は1500万円と認めるのが相当であるとして、1審の2300万円から減額しました。
結論として、控訴審は、原告らの各損害額について、Aの妻が1326万8012円、Aの2人の子が各1675万4126円(原告らの損害額の総額は4677万6264円)と判断しました。
第5.検討
1.予見可能性の判断について
本裁判例は、まず、安全配慮義務の前提として、使用者が認識すべき予見義務の内容は、生命・健康という被害法益の重大性に鑑み、安全性に疑念を抱かせる程度の抽象的な危惧であれば足り、必ずしも生命・健康に対する障害の性質、程度や発症頻度まで具体的に認識する必要はないという立場に立つことを確認しました。
その上で、遅くとも昭和40年頃までには、石綿粉じんが人の生命・健康に重大な影響を及ぼすことについて、医学界のみならず石綿を取り扱う業界にも知見が確立していたものと推認されるとして、被告Y1社は、Aが現場監督業務に従事した際、石綿粉じんの吸入によって、その生命・健康を害する影響を受けることについて予見可能性があったと認めました。遅くとも昭和40年頃としたのは、本件における亡Aの石綿粉じんばく露作業の開始時期に合わせたものと考えられ、他の裁判例としては、昭和35年に施行されたじん肺法により、昭和35年頃とするものがあります。
上記の予見可能性についての考え方は、アスベスト被害の損害賠償請求等を検討する際に、参考になるものと考えられます。
2.安全配慮義務違反の判断について
本裁判例は、上記の予見可能性についての判断を前提に、被告Y1社が負っていた安全配慮義務の内容を具体的に検討し、その義務を被告Y1社が果たしていなかったと認定しました。
本裁判例で示された安全配慮義務の具体的内容は、特に、石綿製品を使用している現場で現場監督業務に従事されていた方、ひいては現場作業そのものに従事されていた方がアスベスト被害の損害賠償請求等を検討する際にも、参考になるものと考えられます。
【弁護士への相談について】
本裁判例は、Y1社においては責任が認められた一方で、Y2社においては、石綿ばく露が認められなかったことから責任が否定されています。
このように、訴訟においては、被災者の業務内容や石綿ばく露の有無、被災者の病態と石綿ばく露との因果関係、会社が行うべきであった石綿対策の内容、また、会社が実際に行っていた石綿対策が十分なものであったか等が具体的に検討されます。
会社に対する責任追及が認められるかどうかの見通しを判断するためには、弁護士による詳細なご事情の確認や専門的な判断が必要ですので、過去にアスベスト粉じんにばく露する作業に従事した方で具体的な救済方法についてご関心のある方は、ぜひ一度弁護士までご相談ください。