裁判例紹介:石綿ばく露作業に従事した造船会社の労働者に発生した原発性肺がんに関する業務起因性が認められた事例(大阪高判平成28年1月28日判時2304号110頁、神戸地判平成25年11月5日判時2304号120頁)
本稿執筆者
篠原 雄一郎(しのはら ゆういちろう)
法律事務所 ASCOPE所属弁護士
・慶應義塾志木高等学校 卒業
・慶應義塾大学法学部法律学科 卒業
・慶應義塾大学法科大学院 修了
はじめまして、弁護士の篠原 雄一郎と申します。
弁護士は、法律問題の専門家として、依頼者の方の権利・利益を代弁し、依頼者の方にとって最善の形で問題解決を図ることを職責としています。
私は、この職責を全うするため、法律問題に対する冷静な分析を大切にするとともに、依頼者の方の権利・利益のために、熱意をもって、全ての案件に誠心誠意取り組んでまいります。
また、法律問題に悩む依頼者の方の不安な気持ちに寄り添い、常に丁寧な対応を心がけてまいります。
どうぞよろしくお願いいたします。
ポイント
①1審(神戸地裁)は、亡Aが罹患した肺がんについて業務起因性を認めることはできないとして、原告の請求(遺族補償給付不支給処分の取消請求)を棄却しました。これに対し、控訴審(大阪高裁)は業務起因性を認め、原告の請求を認容しました。
②石綿ばく露作業に従事した労働者に発生した原発性肺がんに関する業務起因性についての判断枠組みが提示され、控訴審では、特に亡Aの石綿ばく露の程度について具体的な検討がなされた結果、原告の請求が認められました。
〈目次〉
第1.事案の概要
第2.争点
第3.判決
第4.判旨
第5.検討
第1.事案の概要
本件は、生前にB社に雇用されていた亡Aの妻である原告が、亡AはB社に勤務中に石綿ばく露を受けたことにより、肺がんを発症して死亡したとして、神戸東労働基準監督署長に対し、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」といいます。)に基づく遺族補償給付の請求をしたところ、同署長は、亡Aの肺がんは石綿ばく露を示す医学的根拠に乏しく、じん肺所見も認められないことから、業務との相当因果関係があるとは判断できないとして、これを支給しない旨の処分(以下「本件処分」といいます。)をしました。
原告は、本件処分に対し、審査請求、再審査請求を行いましたが、いずれも棄却されたため、亡Aが裁判所に対して本件処分の取消しを求めた事案です。
1.AがB社において従事してきた業務内容
B社は、船舶製造又は修理業等を主たる業務とする株式会社でした。
Aは、昭和42年11月にB社に就職し、平成6年6月30日までの約26年間、B社神戸工場の船殻課、工場課及び艦艇課において、船体組立職等として、船内の溶接や溶断等の業務に従事しました。
2.Aの病歴
Aは、平成14年5月頃から咳を訴え、同年6月5日に病院を受診すると、肺野に粟粒多発陰影散在の所見が認められました。そこで、Aは、同月7日に医療センターを受診したところ、肺がんの疑いがあるとの診断を受け、同月20日から同病院に入院しました。その後、同月26日の組織検診により「肺がん(肺腺がん)」との診断を受け、同病院で療養を続けましたが、平成15年3月2日、肺がんにより死亡しました。
第2.争点
本件の争点は、「Aが罹患した肺がんが、Aの業務に起因するものか否か」であり、具体的には、①業務起因性の判断基準、②Aの石綿ばく露作業への従事歴、③Aの肺内に胸膜プラークが認められるか否か、の3点です。
第3.判決
1審(神戸地裁)は、Aが罹患した肺がんについて業務起因性を認めることはできないとして、原告の請求を棄却しました。
これに対し、控訴審(大阪高裁)は、Aが罹患した肺がんについては業務起因性を認めるのが相当であり、これを否定して労災保険法による遺族補償給付を支給しないものとした本件処分は違法であるとして、原告の請求を認容しました。
第4.判旨
1.1審(神戸地裁)
(1)争点①(業務起因性の判断基準)について
まず、業務起因性を認めるには、業務と負傷又は疾病との間に相当因果関係があることが必要であり、上記相当因果関係があるというには、当該災害の発生が業務に内在する危険が現実化したことによるものとみることができることを要するという従前の判例の立場に立つことを確認しました。
そして、国際的な判断基準であるヘルシンキ基準、アフターヘルシンキ及び我が国における行政通達や平成18年報告書等の知見に照らして、石綿ばく露作業に従事した労働者に発生した原発性肺がんに関する業務起因性は、肺がん発症のリスクを2倍以上に高める石綿ばく露の有無によって判断するのが相当であるとした上で、上記リスクを2倍以上に高める石綿ばく露の指標として、〔①〕(注:番号は筆者による。以下同じ。)石綿ばく露作業に10年以上従事したこと(10年ばく露要件)に加え、〔②-1〕石綿ばく露があったことの所見として胸膜プラーク等が存在することを要するとしました。ただし、胸膜プラークは、中等度ばく露を受けた者の剖検においても発見されない例があり、ばく露者全例に生じる感受性の極めて高い指標ではないとされていることなどの事情から、〔②-2〕当該被災者に胸膜プラークが存在する高度の蓋然性を基礎付ける事情が認められるなど、平成18年認定基準(平成18年2月9日付け通達による石綿ばく露及び肺がんの取扱いに関する基準)を満たす場合に準じる評価をすることができる場合には、胸膜プラークが画像上認められないことをもって直ちに業務起因性を否定すべきではないとしました。
*平成18年認定基準の概要
石綿による疾病として、石綿肺、肺がん、中皮腫、良性石綿胸水及びびまん性胸膜肥厚を定めるとともに、石綿ばく露作業の定義及び業務起因性の認定要件を定めました。
肺がんに関する業務起因性について、石綿ばく露労働者に発症した原発性肺がんであって、次の(a)又は(b)に該当する場合には業務上疾病として扱うこととしました。
(a)じん肺法に定める胸部エックス線写真の像が第1型以上である石綿肺の所見が得られていること
(b)次の①又は②の医学的所見が得られ、かつ、石綿ばく露作業への従事期間が10年以上あること
①胸部エックス線検査、胸部CT検査等により、胸膜プラークが認められること
②肺内に石綿小体又は石綿繊維が認められること
(ただし、②に掲げる医学的所見が得られたもののうち、肺内の石綿小体又は石綿繊維が本通達で定める一定量以上認められたものは、石綿ばく露作業への従事期間が10年に満たなくても、本要件を満たすものとして扱うこととされています)
(2)争点②(Aの石綿ばく露作業への従事歴)について
Aは、昭和42年11月にB社に就職し、平成6年6月30日までの約26年間、B社神戸工場の船殻課、工場課及び艦艇課において船体組立職等として業務に従事しました。
Aの業務内容は、船体組立職としての鉄板の切断、孔開け、曲げ、仮付け等を行う小組立作業、溶断した際に生じた歪みに水をかけながらバーナーを当てて取り除くグラインダー作業等であり、直接石綿を取り扱う作業ではありませんでした。
しかしながら、Aは、下記(ア)ないし(カ)の事情から、「間接的な石綿ばく露を受ける作業」に約26年間従事しているため、10年ばく露要件(①)を満たすとされました。
(ア)小組立作業においては、鉄板の切断の際に、石筆又は墨つぼを使用して罫書き作業を行っていたところ、昭和55年から昭和60年には石筆や墨つぼ内のタルクに不純物として石綿が含有されていました。
(イ)鉄板の切断及び仮溶接作業の際は、作業時に周囲に火花が散ることから、鉄板の養生、母材や周辺機器類を保護するために地面に石綿布を敷いたり、母材等に被せたりすることがありました。
(ウ)昭和52年頃からの造船不況に伴い従業員数が減少し、他部署へ応援に行くことがあり、Aが修繕工場や修繕船に応援に来ている様子が目撃されているところ、修繕船内では、曲がった鉄板を直す等するための溶接作業の際、養生のため石綿布を使用することがあり、また、当時は断熱・保温材として石綿を使用した製品が使われていました。
(エ)新造船の船底を支える盤木の上には船の塗装を保護するためにベニヤ板が敷かれており、そこに石綿を含有したタルクが塗られていたところ、船の進水式を行う際は盤木を取り外す作業で応援に呼ばれることがありました。
(オ)AはLPG船の防火班に所属していた時期があったところ、防火班は、船内で溶接作業をする際に、火花が散るため、タンクや配管に使われた発泡ウレタン等が燃えないように石綿布で養生する作業をしていました。
(カ)B社のロッカー・更衣室・食堂は、石綿を扱う職場か否かを問わず、各部署の従業員が共同で使用していました。
(3)争点③(Aの肺内に胸膜プラークが認められるか否か)について
ア.前提
平成18年認定基準においては、石綿ばく露の医学的所見として、胸膜プラークの他に「肺内に石綿小体又は石綿繊維が認められること」も挙げられていますが、本件ではAの死後剖検が行われていないため、肺内に石綿小体又は石綿繊維が存在したか否かは不明となっています。
そこで、Aは、平成14年6月18日及び同年8月9日に、病院でCT検査を受けており、その胸部CT画像において胸膜プラークが認められるかが問題となりました。
イ.胸膜プラークの有無
原告は、平成14年6月18日の検査におけるAの胸部CT画像のうち、11か所に胸膜プラークが認められると主張しました。
これに対し、神戸地裁は、まず、胸膜プラークのCT読影上の注意点として、(ア)縦隔条件と肺野条件の双方の条件で読影すべきこと、(イ)単一のスライスだけでなく、連続したスライスを読影すべきこと、(ウ)1箇所だけの胸膜肥厚を胸膜プラークと判断すると誤審する危険があるため、原則として複数の胸膜肥厚を認めた場合に「胸膜プラークあり」と診断すべきこと、を挙げました。また、胸膜プラークと鑑別を要する所見として、胸膜下脂肪層、胸膜直下の肺野病変、肋間静脈などがあること及び具体的な鑑別方法について確認しました。
その上で、Aの胸膜CT画像に胸膜プラークが認められるかについて、複数名の医師が提出した意見書等を比較検討し、結論として、Aの肺内に胸膜プラークがあるとは認められないとしました。
ウ.胸膜プラークが存在する高度の蓋然性を基礎付ける事情が認められるか
この点に関して、B社神戸工場における石綿ばく露により、平成23年度までに肺がん9例、中皮腫17例、良性石綿胸水2名、びまん性胸膜肥厚3名が労災認定されているという事情がありました。労災認定された者の中には、昭和37年3月12日から昭和62年4月30日まで船殻工作部船殻課に船体組立職として所属し、船台での盤木配置工事や、LPG船建造時にタンク周囲の防熱のため石綿を使用した養生作業に従事し、中皮腫を発症した者がいました。
しかしながら、B社神戸工場には、Aが所属していた昭和42年から平成6年にかけて2000人から9000人という多数の従業員がおり、それぞれの場所における作業内容も様々であることから、Aがこれらの被災者と同様の作業に従事したかは明らかでなく、また、そもそも上記被災者に胸膜プラークが存在したかも明らかでないため、上記の事情からAの肺内に「胸膜プラークが存在する高度の蓋然性」を認めることは困難であり、Aの肺がんについて平成18年認定基準を満たす場合に準じるものと評価することはできないとしました。
(4)結論
神戸地裁は、結論として、Aの肺がんについては、10年ばく露要件〔①〕を満たすものの、胸膜プラーク、肺内の石綿小体又は石綿繊維等の医学的所見〔②-1〕がいずれも認められず、このような医学的所見が認められなくても業務起因性を肯定すべき特段の事情〔②-2〕も認められないため、業務起因性を認めることはできないとしました。
2.控訴審(大阪高裁)
原告(亡Aの妻)は、1審判決を不服として控訴しました。
大阪高裁は、本件の争点を、①業務起因性の判断基準、②Aの石綿ばく露作業への従事歴、③Aの肺内に胸膜プラークが認められるか、④Aの肺がんについて、平成18年認定基準を満たす場合に準ずる評価をすることができるか(Aの石綿ばく露の程度)、の4点であると整理しました。
(1)争点①(業務起因性の判断基準)について
大阪高裁は、業務起因性の判断基準について、神戸地裁が提示した枠組みを維持しつつ、上記②-2の点について、判断基準を次のように具体化しました(注:下線及び太字は筆者による。以下同じ。)。
胸膜プラークが画像上において認められないことをもって直ちに業務起因性を否定すべきではなく、当該被災者の従事した石綿ばく露作業に係るばく露濃度や従事期間など当該被災者の石綿ばく露に関する具体的な状況を考慮した結果、平成18年認定基準を満たす場合に準ずる評価をすることができるときは、2倍ばく露があったものとして業務起因性を肯定するのが相当である。
(2)争点②(Aの石綿ばく露作業への従事歴)について
大阪高裁は、1審判決を引用する形で、Aが10年ばく露要件〔①〕を満たすことを認めました。
(3)争点③(Aの肺内に胸膜プラークが認められるか否か)について
控訴審では、さらに1名の医師の意見を追加的に検討しましたが、Aの肺内に胸膜プラークが存在していたと認めることはできないとしました。
もっとも、原告が主張する11か所のうち5か所については、CT画像及び各医師の意見に照らして、「胸膜プラークが存在する相当程度の可能性」があることまで否定することはできず、このことは、「Aの石綿ばく露の程度に関する認定と相まって、Aについて平成18年認定基準を満たす場合に準ずる評価をすることができるかどうか〔②-2〕を判断するにあたり、考慮すべき事情の一つである」と判断しました。
(4)争点④(平成18年認定基準を満たす場合に準ずる評価をすることができるか(Aの石綿ばく露の程度))について
大阪高裁は、下記(a)ないし(f)の事情を考慮して、Aの肺がんについては、平成18年認定基準を満たす場合に準ずる評価をすることができる(②-2)としました。
(a)Aは、平成18年認定基準において業務起因性認定の要件の一つとされている石綿ばく露作業従事期間(10年)を2倍以上上回る24年以上の長期間にわたって、B社神戸工場での作業に従事しており、この間、日常的に間接的な石綿ばく露を受け続けていたこと
(b)Aは、石綿が含有されたタルクを原料とする石筆や墨粉の使用、防火のための石綿布の使用等、直接に石綿を取り扱う作業にも従事していたこと
(c)Aに比べると、石綿を取り扱っていた可能性のある施設等からより離れた位置(少なくともほぼ等距離の位置)にある診療所で勤務していた看護師のほか、同工場の敷地内で就労していた多くの従業員らが石綿に起因する疾患を発症し、労災認定を受けるなどしていること
(d)上記診療所の部屋は、工場側にある窓が常に開け放たれていたため、工場からの粉じん等により真っ黒に汚れるほどであったとの指摘や、B社神戸工場における事務職を含めた全職種について同工場内での間接ばく露があったとの指摘もされていること
(e)Aには、原発性肺がんの極めて有力な発症原因とされている喫煙歴は全くなく、がんについての遺伝的素因があったともいえないこと
(f)Aの肺内に胸膜プラークの存在が認められるとの意見を述べる医師が複数おり、これらの医師の指摘する複数の部位に胸膜プラークが存在する相当程度の可能性があることを否定できないこと
(5)結論
大阪高裁は、結論として、Aの肺がんについては、10年ばく露要件(①)を満たし、かつ、平成18年認定基準を満たす場合に準ずる評価をすることができるもの(②-2)として、業務起因性を肯定するのが相当であるから、これを否定し、原告に対して労災保険法による遺族補償給付を支給しないものとした本件処分は違法であると判断しました。
第5.検討――原発性肺がんに関する業務起因性の判断方法について
本裁判例は、まず、業務起因性を認めるには、業務と負傷又は疾病との間に相当因果関係があることが必要であり、上記相当因果関係があるというには、当該災害の発生が業務に内在する危険が現実化したことによるものとみることができることを要するという従前の判例の立場に立つことを確認しました。
その上で、石綿ばく露作業に従事した労働者に発生した原発性肺がんに関する業務起因性については、「肺がん発症のリスクを2倍以上に高める石綿ばく露の有無」によって判断するのが相当であるとしました。
そして、上記リスクを2倍以上に高める石綿ばく露の指標としては、〔①〕石綿ばく露作業に10年以上従事したか(10年ばく露要件)、並びに〔②-1〕胸膜プラーク等の医学的所見の有無及び〔②-2〕具体的な石綿ばく露状況を検討するという判断枠組みを示しました。
また、〔②-2〕石綿ばく露に関する具体的な状況を考慮した結果、平成18年認定基準を満たす場合に準ずる評価をすることができるかの判断に際して、具体的にどのような事情が考慮されるのかについても示しています。
本件においては、特に、亡Aの石綿ばく露作業、ばく露状況が詳細に立証できたこと、同じ工場の敷地内で就労していた他の多くの従業員らが石綿に起因する疾患を発症し、労災認定を受けるなどしている状況が確認されたこと、Aの肺内に胸膜プラークの存在が認められるとの意見を述べる医師が複数おり、これらの医師の指摘する複数の部位に胸膜プラークが存在する相当程度の可能性があることを否定できないと判断されたことが高裁での逆転判決に繋がったものと考えられます。
本裁判例で示された、原発性肺がんに関する業務起因性の判断枠組みと具体的な考慮要素についての考え方は、アスベスト被害の労災事例において、業務起因性を検討する際に参考になるものと考えられます。
【弁護士への相談について】
本裁判例は、亡Aの妻である原告が、Aの肺がんによる死亡について労災保険法による遺族補償給付を請求しましたが不支給とされたことで、その不支給処分の取消しを求めて訴訟で争った事例です。
上記のように、訴訟において、当該疾患が業務に起因するものか否か(業務起因性)が争点となった場合には、被災者の業務内容や石綿ばく露の具体的状況、医学的所見の有無等について具体的に検討されます。
本件のような労災の手続に限らず、アスベスト被害によってどのような救済方法がとりうるかの見通しを判断するためには、弁護士による詳細なご事情の確認や専門的な判断が必要ですので、過去にアスベスト粉じんにばく露する作業に従事した方で具体的な救済方法についてご関心のある方は、ぜひ一度弁護士までご相談ください。