AS COPE Law Office

~東京高判平成3年3月14日・判タ790号108頁を参考にして~

男気あふれる財産分与と譲渡所得税

【研究裁判例:東京高判平成3年3月14日・判タ790号108頁】

 今回取り上げるのは、昭和59年の離婚の際に、自身の所有する全ての不動産(当時の時価で約8億円)を妻に財産分与し、そこから裸一貫で出直すことを決意した男性会社員が、後日その譲渡によって譲渡所得税約2億円が発生することを知り、慌てて上記財産分与の錯誤無効を主張した事件である。
  同事件は最高裁(最判平成元年9月14日・判時1336号93頁)まで争われた上で、最高裁が錯誤無効を認める余地がある旨判示し、その後の差し戻し控訴審(東京高判平成3年3月14日・判タ790号108頁)において、錯誤無効が認められるに至っている。
  もっとも、錯誤無効が認められるためには男性側に「譲渡所得税が課税されることを知らなかった」という言い分に重過失が無かったことが必要となるところ、令和の現在において同じ事情で重過失が認められるのかは争いが生じうるところであるため、研究対象として設定したものである。

1.事案の概要

⑴ 離婚協議が始まる前の事情

 昭和36年に大学を卒業して銀行に就職したX(男性)は、その翌年にY(女性)と結婚し、3人の子供をもうけた上で、家族5人で新宿区市谷砂土原町(市ヶ谷駅の北側の高台)の建物に居住していた。
  Xは、この建物の他に、その敷地(約700㎡)及び同敷地上に賃貸物件(以上全ての不動産を合わせて「本件不動産」という。時価約8億円。)を所有していた。そして、本件不動産はXの実父からの相続に由来して取得したものなので、いずれもその性質上夫婦共有ではなく、Xの特有財産とみなされる財産であった。また、この本件不動産以外に、Xは特別な資産を有していなかった。

⑵ 離婚協議の開始と離婚の成立

 結婚から20年以上経過した昭和58年11月頃、妻Yは、夫Xが職場内で女性部下と不倫をしている等の理由から離婚を決意し、昭和59年11月14日、代理人弁護士を通じて、夫Xに対して離婚の申し入れを行った。
  これに対しXは、数日間仕事を休んで家にこもって1人で考え抜いた結果、不倫相手である部下と結婚して裸一貫で出直すことを決意し(なお、最高裁の事実認定においてもこのような文言でXの決意が認定されている)、前記居住建物に子供3人とともに住み続けたいというYの意向をくんで、同建物だけでなく時価約8億円の本件不動産の全てをYに財産分与として譲渡する内容(以下「本件財産分与」という。)で離婚に応じることとし、昭和59年11月21日、同内容の記載された離婚協議書に署名捺印した。その結果、同年11月24日に離婚が成立した。
  Xは、この離婚協議書に署名捺印する際、本件財産分与によりXに課税されることはないと勘違いしており、逆に不動産を譲り受けるYに課税されることになるという思い込みのもと、Yに対して、これからYが支払う税金について気遣う発言をしていた。

⑶ 錯誤の発覚

  離婚成立直後の昭和59年11月末又は同年12月初旬頃、Xが離婚及び本件財産分与の件を職場の上司に報告したところ、同上司が税金に詳しかったことから、本件財産分与により所得税法33条の「資産の譲渡」があったものとしてXに譲渡所得税が課税されることが判明し、その後の調査により、約2億円もの譲渡所得税が譲受人Yではなく譲渡人Xに課税されることが判明した。
  その結果、昭和60年、XはYに対して、本件財産分与の無効及び移転済みの所有権登記の抹消登記手続を求めて訴訟提起を行った。
  結局、本件の判決が確定する前の平成2年2月26日、Xは、本件財産分与を理由として、昭和59年分所得税について、本税額1億8631万1500円、無申告加算税1863万1000円とする税務署長からの決定処分を受けるに至っている。
  なお、離婚後においてXは、昭和61年12月22日に上記不倫相手の部下と結婚し、子供を1人もうけた上で、銀行を退職して月額30万円ほどの収入を得る生活を送っている。

2 そもそも財産分与としての不動産譲渡は「資産の譲渡」といえるのか

⑴ 判例法理が確立するまでの流れ

 離婚に伴い財産分与として不動産を譲渡した場合に、これが「資産の譲渡」にあたるのか(=譲渡所得税の課税対象となるのか)については、かつて争いがあった。
  すなわち、税務当局では、昭和45年の段階で財産分与としての不動産譲渡が「資産の譲渡」にあたる旨の取り扱いをしてきたものの(昭和45年7月1日直審(所)30・所得税基本通達38-6)、一方で、法律家の中では反対説も主張されていた(竹下重人「譲渡所得課税の二、三の問題点」シュトイエル100号107頁参照)。現在においても、財産分与とは、実質的な夫婦共有財産を清算分配する性質を有し、相手方が有する潜在的な権利を相手方に帰属させるものにすぎないので、実質的には共有財産を分割する手続であるから「資産の譲渡」に該当しないという考え方が存在し、学説上は有力に主張されている(金子宏「租税法〔第23版〕」264頁ほか)。
  しかし、最高裁は、最判昭和50年5月27日・判タ324号202頁において初めて財産分与としての不動産譲渡が「資産の譲渡」に該当すると判断されて以降、最判昭和53年2月16日・判タ363号183頁及び最判昭和53年7月10日・税資102号68頁でもこれを踏襲し、本件の最高裁判決(最判平成元年9月14日・判タ718号75頁)においても、「離婚に伴う財産分与として夫婦の一方が他方に対してする不動産の譲渡が譲渡所得税の対象となることは判例上確立した解釈である」旨判示するに至っている。

⑵ 対象となる財産の範囲(特有財産と共有財産)

  本件の事案と異なり、財産分与の対象となった不動産が夫婦一方の特有財産(100%名義人の財産)ではなく、実質的夫婦共有財産である場合には、当該共有部分(通常どおり夫が5割で妻も5割である場合には、譲渡対象の5割部分のみ)が「資産の譲渡」となる点には注意が必要である(東京高判昭和49年10月23日・税資77号196頁ほか)。

3 譲渡所得税が課税されることに対する錯誤が認められるのか

⑴ 本件における主要な争点

 本件の事案は、平成29年改正(令和2年4月1日施行)前の民法95条(錯誤)が適用される事案であり、錯誤無効により本件財産分与が無効になるか否かが争点となっていた。
  そして、同条においては、「法律行為の要素に錯誤」があり、この錯誤について「表意者に重大な過失があったとき」は錯誤無効を主張できないとされているところ、法律行為そのものに錯誤がなくても、その動機について錯誤があり、しかもその動機が黙示的に表示されていれば「要素に錯誤」になりうるとされている(最判昭和29年11月26日・民集8巻11号2087頁)。
  本件の第一審及び控訴審においては、本件財産分与にあたり前記課税の有無の件は動機にすぎないとされた上で、これが動機として財産分与の際に表示されていなかったと事実認定がなされ、「要素に錯誤」がなかったものとしてXの請求が棄却されている。
  しかし、上告審である最高裁は、これが財産分与の際に「黙示的には表示していたものといわざるをえない」と判示し、要素の錯誤の成否と表意者Xの重大な過失の有無について審理不十分であるとして、本件を控訴審に差し戻した。これが、本件研究対象の裁判例である。
  以下、研究対象の差戻審において、特にXの重過失の有無についてどういった事実認定がなされたのかを深掘りしていく。

⑵ 差戻し後の控訴審(東京高判平成3年3月14日)の事実認定

 以下、差戻し後の控訴審判決の中から、重大な過失の部分についての事実認定を抜粋する。

2 重大な過失

⑴ 被控訴人(引用者注:妻であるY。以下「Y」という。)は、控訴人(引用者注:夫であり現役銀行員であったX。以下「X」という。)が自己に課税されないと誤信したのは、Xの職業、地位、経歴からみて重大な過失がある旨主張する。
  《証拠略》によれば、Xは、昭和35年に◯◯大学経済学部を卒業して××銀行に入行し、都内の各支店で勤務し、昭和44年支店長代理となり、昭和51年から東京事務集中部に勤務していた者であって、その間特に法務や税務を専門とする仕事についた経験はなかったことが認められる。また、財産分与について分与者に譲渡所得税か課されることは課税実務の取扱いであり、昭和50年5月27日の最高裁判所第三小法廷判決以来同裁判所の判例とするところであるが、法律専門家の間においても賛否の結論が分かれており、少なくとも通常の一般人にとっては、財産分与者に譲渡所得が発生するとの理解は必ずしも容易ではないといわざるを得ない。《証拠略》によると、銀行員を対象とした税務研修や検定等のために発行されている教材又は解説資料の中には、財産分与についての右課税実務の取扱いに触れているもののあることが認められるか、Xが本件離婚問題の発生前にこれらの教材又は資料等に接して、一般的知識として右の点を理解していたこと又は当然かつ容易にこれを理解し得たことを認めるべき証拠はない。これらのことを考慮すれば、Xが銀行員であったとの事実から、本件財産分与により自己に課税されないと信じたことについて重大な過失があったと認めることはできない。
  ⑵ 次に、Yは、Xが離婚の申入れを受けてから本件財産分与契約を締結するまでの間に、財産分与をめぐる課税問題を自ら調査、検討するなり、専門家に析談するなりしなかったのは重大な過失である旨主張する。
  しかし、前記認定のように、Xは、突然離婚の申入れを受け、数日間家にこもって考え続けた上でこれに応ずる気になり、すぐに本件財産分与を承諾したものであって、このような経過に照らせは、右数日の間にXが財産分与に関する課税問題についてまで自ら調査し又は専門家に相談しなかったことをもって重大な過失とみることは相当でない。
  (中略)
  その他、Xが課税されることがないと信じたことについて重大な過失があると認めるに足りる証拠はない。

→ この差戻控訴審においては、主に①経済学部卒の勤続25年近い銀行員である以上は自己に譲渡所得税が課税されることにつき知らないことは重大な義務違反といえるのではないか、及び、②本件財産分与の検討期間において調査義務を尽くさなかったのは重大な義務違反といえるのではないかが検討されている。
  そして、①②について、差戻控訴審は主として以下の事実関係から重過失を否定している。

  • Xのキャリアの中で法務や税務を専門とする仕事の経験がないこと
  • 昭和50年の時点で最高裁判例があり、昭和59年の本件財産分与時点で課税実務もそのようになっていたが、この取り扱いについて法律専門家の間で賛否が分かれていたこと
  • 離婚の申し入れから本件財産分与まで数日しか存在しなかったこと

 このような事実認定については、差戻し後の控訴審の判例タイムズの解説部分において、山田二郎先生が「表意者の学歴、職業歴、財産分与契約に至る経緯等から考えると、重過失があったといってもおかしくない事例であり、また本件で重過失を否定すればどのような場合に重過失があることになるのかとさえいえる事例である」と述べるように、専門家の間でも重過失の判断が分かれるような極めて微妙な事案であったといえる。
  この控訴審判決により本件財産分与の無効が認められたXは、既に判決前の平成2年2月26日に所得税の決定処分(本税額1億8631万1500円+無申告加算額1863万1000円)が出されていたことからすると、判決後に「更生の請求」制度を利用して減額更正(決定処分の取消し)を求めたものと思われる。その結果、訴訟について極めて長い期間と労力を要したものの、当初の男気あふれる財産分与についてリカバリーがなされたものと予想される。

⑶ 本件から学ぶべき教訓

 最高裁において、財産分与による不動産譲渡に譲渡所得税が課税されることが確立されるようになった昭和50年代ならいざ知らず、本件財産分与のあった昭和59年(1984年)から37年が経過した2021年8月(執筆時現在)において、たとえ判例に対する有力な反対説があり「法律専門家の間で賛否が分かれている」としても、判例の立場が確立していることは疑いようのない事実であると考える。
  そうすると、銀行員ほどの税務知識が一般にはないと思われるような職業の人はもとより、同程度の税務知識があると推定されやすい会社経営者であれば、本件と全く同じようなことを令和の時代に行った場合、錯誤無効が認められない可能性も十分にあるといえる。何より、錯誤無効という類型自体がなかなか裁判では認容されにくい訴訟類型であるから、本件の事案のように裁判所による判決で錯誤があった点をリカバリーできない場合も多くあるといえる。
  したがって、資産家が離婚を行う場合には、離婚という法的側面だけでなく、税務面もしっかり考慮した上で解決策を探ることが重要である。

今回の判例研究のまとめ

今回の判例研究のまとめは、以下の2点に集約される。
①財産分与で不動産を譲渡する場合、当該不動産が特有財産の場合はもとより、共有財産の場合であっても譲渡所得税が課税されてしまうこと
②その結果、多額の譲渡所得税を想定外に負う可能性が出てくるため、離婚に際しては税務面のチェックも抜かりなく行う必要があること

以上

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