1.引き抜き行為について
(1) 労働者には転職の自由が保障されている
労働者には、職業選択の自由の一環として転職の自由(憲法22条1項)が保障されています。
退職した元従業員が会社の従業員に対し「ウチにくればもっと払うよ」という引き抜き行為をしたとしても、通常は違法になることはありません。なぜなら、労働者には職業選択の自由(憲法22条1項)の一環として転職の自由が保障されているところ、元従業員は労働者の転職の自由を遂行する過程で、転職のキッカケを与えたに過ぎないと評価されることが多いからです。
(2) 引き抜き行為を禁止することは可能
ただし、憲法で保障されているのはあくまで転職側従業員の転職の自由です。引き抜き行為をする側に引き抜き行為をする自由が保障されているわけではありません。したがって、会社は労働者に対し、在職中の者に対しては労働契約上の誠実義務を根拠として、また、従業員が退職後した後については在職中に特約を締結しておくことで引き抜き行為を禁止することが可能です。
2.引き抜き行為が禁止される根拠
(1) 在職中の場合
労働者はその在職中、労働契約上の誠実義務の一環として、会社に対し著しく利益を損なうことがないようにする義務を負っています。例えば、労働者が、在職中に暗躍し、その会社の部署の人間を一斉に引き抜く行為をしたような場合には、その会社の部署が次の日から全く機能しないことになりかねませんし、会社に損害が生じるようなこともありえます。そこでこのような引き抜き行為は、 会社の利益を著しく損なうものとして上記誠実義務違反することになるため、当該従業員に対し損害賠償請求ができると考えられているのです。
なお、在職中の従業員が他の従業員に引き抜き行為をした場合に損害賠償責任を認めたケースとしてラクソン事件(東京地判平成3.2.25労判588-74)などがあります。
(2) 退職後の場合
労働者は退職した後は、労働契約上の誠実義務から解放されるため、退職後も引き続き引き抜き禁止義務を一般的に負っているということにはなりません。そのため、労働者に退職後も引き抜き行為を禁止したい場合には、その在職中に特約を締結しておく必要があります。この特約を課す方法としては、誓約書を交わしたり、就業規則に定めたりする方法が一般的です。 なお、就業規則で引き抜き禁止規定を定める場合には、一般的に秘密保持義務や競業避止義務などと一緒に規定する場合が多いといえます。
このような退職後も引き抜き禁止を課す特約がある場合に元従業員に損害賠償責任を認めたケースとして東京学習協力会事件(東京地判平成2.4.17労判581-70)などがあります。
また他方で、引き抜き行為が大量または一斉になされる場合など、その行為態様が極めて悪質であると評価される場合には、引き抜き禁止特約が存在しない場合であっても、会社に対する不法行為として損害賠償責任を問うことができる可能性があります。この場合の参考事例としてリアルゲート事件(東京地判平成19.4.27労判940-25)などがあります。
3.裁判例における判断のポイント
退職後に引き抜き禁止の義務を負うか否かについての上記裁判例のポイントは、①従業員に対し、退職後も引き抜き禁止義務を課すための特約が存在すること、②引き抜き行為として、複数人を一斉に退職させるなどの社会的相当性を欠くような手段がとられていること、③当該引き抜き行為を行うことにより、会社に対し重大な損害が生じていること、④禁止行為の範囲や期間など対象が合理的な範囲に留まっていることなどです。
4.集めるべき証拠の例
上記のポイントを踏まえた上で、会社側としてどのような証拠を準備すべきかですが、まず引き抜き禁止義務の存在が必要ですから①就業規則や雇用契約書・誓約書などの特約の存在を立証する証拠を準備する必要があります。また、引き抜き行為の実態を捉える必要があるので、②引き抜き行為をされた従業員の証言(陳述書)、引き抜き先の会社情報(HP、取引先など)を調査する必要があります。さらに、損害賠償請求をするわけですから、会社に生じた損害を立証する必要があり、③損益計算書、貸借対照表などの計算書類も見ておく必要があります。